道端の小石のように

考える日々。

近況

ブログを更新しようと思いながらも文章が完成しないので下書きだけ溜まっている

 

読んでる本の書評でもしようと思ったが、あまり乗り気になって読めている哲学書もない(マラブーの本の感想を書こうと思ってはいた)。この頃は相対論や量子論の勉強をやっていたので哲学の本もあまり読めていなかったけど、だいぶ落ち着いてきたので哲学の勉強を真面目に再開したいと思っている

 

ざっと今後書くべきテーマを一応ここに書いておきたい

 

・私が私でなくなる瞬間や状態とは具体的にどういうことか?

・主観的な自己意識が物理的にコピー可能であるという考え方にまつわる諸問題(単なる意識と主観的意識体験の差異とは何か?人格のコピーは本当に物理的に実現可能であるか?量子力学の観点からして完全なコピーというのは原理的に可能であるのか?)

・主観的な自己というものが、異なる主観的な他者の体験も含めて、一つの客観的な世界に時間的・空間的に存在しているという解釈は自明ではない

・主観的な意識体験にとって客観世界の存在は第一に想定されるものではなく、客観世界に対する信念(≠実在性)は間主観性によってもたらされる経験的な産物である(≠観念論的発想)

・世界が因果的必然性を伴うということと、私たちもまた内的な因果的必然性を伴うということ

・意識は知覚や感覚といったものを重要視してきたが感情についてはさほど議論になっていない、だが感情及び感情の質的体験は無視できないほどに自己意識にとって本質ではないか

・私たちの意識体験が眠さや辛さや冷たさといった感覚や質的体験を表現するというのは、私たちの意識がまさに眠さなどといった感覚に(のみ)適しているということ

・「私から見るあなた」と「あなたから見られる私」という言葉の意味の存在論的及びパースペクティブ的差異、またそれが実際に使用可能な概念であるということ

その他、どこかで言及しておきたいもの(逆転クオリアが自然に生じるかもしれないという考え方への進化論的な考察、クオリアを失ったメアリーという思考実験、重度の健忘症患者らの主観的意識の解釈について)