道端の小石のように

考える日々。

解決に向けて

夢体験や記憶に関する主観的経験の考察を「現象学」と一概に呼んだりするのは馬鹿らしいと思う。馬鹿っていうのは言い過ぎかもしれないけど、そうやってレッテル貼りみたいなことをやる必要性がない。センスデータについて議論するのはどれも現象学か?錯覚や幻覚なんかは?現象学は一つの方法論にすぎないし、万能な理論なわけがない。そんな便利なものがあったなら大半の問題はとっくに解決しているだろう。言うべきことは次のことだ。まだまだ根掘り葉掘りされていない多くの知的領域が存在する。そういったものを“哲学”や“形而上学”と呼ぶことすらおこがましい。必要とされるのは、固有の問題提起と、それに対する具体案である。硬直した思考は何も生まない。