道端の小石のように

考える日々。

数学的対象、物自体

哲学の言葉で「物自体」というものがある。物自体という発想はカントが明確に発起したものと言われているが、カント以前にもそういう発想をした人間はいたかもしれない(まあそれは置いておいて)

ふと思ったのが、物自体に当て嵌まるものが数学にも存在するのかということ。物自体は、時間や空間という性質を持っているこの世界や経験主体を作り出している根源的な対象(対象と呼べるのかわからないが)であると考えられる。

個人的な解釈になってしまうが、物自体そのものは我々の前にけっして現出することなく、それに触れることもできないとされるが、そのような我々の認識の可能性以前に、我々のような経験主体を生み出す大元として想定されなければならない概念となる。つまり、時間や空間といった我々の認識以前に成り立っているものであると考えられる(その点では、確かにイデアに近いところはある)

簡単にまとめると、それに触れることはできないが、それによって存在が生み出されているような何か、ということになる。だから、そんなものが実在するかどうかも決定できないし、とても空虚なものではあるけれど、確かにそのような根源的なものを想定しなければ辻褄が合わないような何かになる。

 

数学にもそういうアイデアがあるかどうか考えてみたけど、ぜんぜんわからない……いまのところは。この頃はガロア理論多様体論を勉強しているけど、もうちょっと進んでみると、そういう発想も出てくるのだろうか(それとも数理論理学や集合論の文脈になるのか)。たとえば、グロタンディークのような巨人であったならば、それを数学的にどう解釈しただろう、と気になったりする。