道端の小石のように

考える日々。

0211

その人がどんな理由でどのような行動原理に従っているとしても、それがわざわざ開示される必要はない。誰であれ、そもそも他人のことはたいてい気にしていないものだ。だから、自分が他人に意識されていると思いすぎるのは不遜でしかない。もしも誰かが誰かを気にするようなことがあったとしても、それは態度や行動が気に入らないから、という相手に対する無理解に由来しているだろう。最初から、他人のやっていることを気にする必要もなければ、理解する必要もない。よくわからない行動をしているとしても、それは本人からすればよく考えられた行動であることもある。だからといって、自分が他人によくわからないと思われているかもしれないと不安になるからといって、それを明け透けにする必要もない。そういった不安が常にあるとしても、それは相手の言いなりになることだ。お互いに負担できてこそ、友好な関係は芽生える。お互いにそのつもりであれば、もうその時点で関係は成立している。だから、自分のことを説明する必要は最初からない。